10月22日にNPO法人nestが映画「道草」のシネマカフェの開催に協力しました。
私、森永も当事者の一人として登壇させていただきました。
その際に映画を紹介させていただいたのですが
今回はそのふり返りと共に私の感想などを改めて紹介させてください。
映画「道草」は障がい者と世話人が社会で生活していく姿を
言葉だけでなく映像でとらえています。
我々、障がい者およびその周りの方の生活模様は
今の社会ではほとんど知られていないと思います。
僕も24歳ぐらいから引きこもっていたのですが
自分が社会に参加していないという強い引け目を感じ
自分の生活模様からその中で発生する悩み、苦しみを
人に伝えることに強い抵抗感がありました。
もちろん伝えないだけで僕の中には
様々な悩み、希望、喜び、そして悲しみ苦しみが存在していたのですが
僕が感じることは許されない。そう思っていました。
僕は今ようやく当時の抱えていたものを
言葉にできるようになりました。
そして幸いにも僕には表現する機会と能力がありました。
しかし多くの僕ら仲間は
表現する能力、境遇、機会、理解者の支援を持つことができずにいます。
そんな仲間こそが苦しみ、葛藤しています。
だから僕はこの映画「道草」を仲間にぜひ見てほしいと思っています。
僕たちの姿は言葉にできなくてもここにあるんだ。
お前の姿はちゃんと見えてるぞ。と。
この映画はそう僕らにもエールをくれると思ったからです。
話は少し変わるのですが、僕はこの映画を見て
自分も、自分たちも支援に回ることが出来たならば素晴らしいのでは
と思うようになりました。
そんな希望が持てるのはお前にまだ余裕と能力があるからだ
と厳しくいわれるかもしれません。
確かに僕に余裕と能力があるのはひとつの理由です。
しかしもっと僕が強くこのことに希望を持っているのは
今現在、僕が他の利用者の仲間に支援をしてもらっているからです。
どういうことかというと
僕は部屋の片付け、掃除、その他身の回りのこまごまは
さっぱりできない人間です。
ちょっとできても続かない。すぐちらかします。
いわば僕の弱点です。
その僕の弱点を僕は同じ作業所の仲間に支援してもらっています。
彼らが仕事として僕の身の回りを片付けてくれています。
彼らは僕より障害が重く、僕よりも難しい分野が多いです。
でも僕が必要とするレベルの掃除を継続して提供して支援してくれます。
このように僕ができるからだけではなく、僕が仲間に支援してもらってるからこそ
僕は支援する側に回るということに強く憧れを持ちました。
しかしまだ僕には継続する力など基本的なパーツが不足しています。
そこを補う、補ってもらう、もしくは代用する、克服するなどして
今後みんなにかかわっていきたいなと思います。
だらけてたら一瞬だけカツを入れてやってください 笑
映画「道草」のシネマカフェでは語れなかった部分を少しのせてみました。
もしDVDなどになりましたらぜひご覧ください。
公式のHPもありますので詳しくはそちらで
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